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東京都

国文学研究資料館(歴史資料): [収蔵者詳細]   立川市 (050)5533-2930 http://base5.nijl.ac.jp/~archicol/




伊豆国君沢郡内浦史料
項目内容
識別記号ac1948026.03
資料記号23Z3 23Z5
標題伊豆国君沢郡内浦史料
年代1543年~ 1903年
主年代
年代注記1543(天文12)年-1903(明治36)年
記述レベルfonds
書架延長/数量18m / 6388点
物的状態注記6388点
出所・作成大川家ほか
履歴内浦は伊豆半島西岸の駿河湾に面した漁村地域で、16世紀末の天正期頃までは西浦と称していたようである。戦国期の史料には西浦庄内七ヶ所として、三津(みと)・重須(おもす)・くすら(久連)・ひら沢・木正(木負、きしょう)・しけてら(重寺)・長浜の名が見え、後北条氏の直轄領として代官・小代官の支配を受けていた。江戸時代になって内浦と呼ばれるようになったが、最初、地域的には固定せず、時には14か村、また時には7か村、6か村と様々であった。しかるに、17世紀半ばの万治年間頃より重寺・小海・三津・長浜・重須・木負の6か村にほぼ固定したとみられる。この6か村は地理的に隣接しており漁業上密接な利害関係にあった。したがって、一種の漁業組合としてのまとまりを持つようになり、これが内浦という地域名称を固定化する要因になったと考えられる。また、これとは別に支配行政上の単位としての「内浦組」が、内浦史料では17世紀後半の延宝期より現れてくる。この場合の内浦組は重寺村より戸田村までの16か村あるいは12か村より構成されていた。内浦の割本(大名主・大庄屋)は初め三津村に置かれていたが、17世紀末の貞享期以降は重須村に移され、土屋家がこれをつとめている。なお、1876(明治9)年には、重寺・小海・三津・長浜の5つの大字で内浦村が設置された。

(関係地) 伊豆国君沢郡内浦‐静岡県田方郡内浦村‐沼津市内浦[現在]
(主題) ―
(役職等) ―
伝来内浦史料は戦前渋沢敬三氏によって収集され、渋沢氏が主宰していたアチックミューゼアム(後に日本常民文化研究所と改称)に保管されて「祭魚洞文庫」に属していたが、1948・1949年両年度にわたり当館に譲渡されたものである。
入手源アチックミューゼアム(後の日本常民文化研究所)
範囲と内容内浦史料は、(1)長浜村大川家(屋号大屋)文書(23Z3 23Z5ク)(2)長浜村大川家(屋号北方)文書(23Z5ケ)(3)長浜村小川家文書(23Z5コ)(4)重寺村秋山家文書(23Z5ア)(5)重寺村加藤家文書(23Z5イ)(6)小海村増田家文書(23Z5ウ)(7)小海村大沼家文書(23Z5エ)(8)三津村大川家文書(23Z5オ)(9)三津村金指家文書(23Z5カ)(10)三津村松本家文書(23Z5キ)(11)重須村土屋家文書(23Z5サ)(12)木負村相磯家文書(23Z5シ)(13)久料村久保田家文書(23Z5ス)(14)立保村文書(23Z5セ)の14文書群から構成され、ほかに若干の所蔵不明文書がある。このうち(1)の長浜村大川家(屋号大屋)文書については、量が多いため先に整理して『史料館所蔵史料目録』第22集(1973年)に目録を掲載し、その他の13文書群については「内浦史料」の総称で『史料館所蔵史料目録』第29集(1988年)に一括掲載している。なお各文書群については、個別に掲げたので見られたい。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語JAPANESE
物的特徴および技術要件
検索手段『史料館所蔵史料目録』第22集「長浜村大川家文書」(1973年)、『史料館所蔵史料目録』第29集「内浦史料」(1988年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物渋沢敬三編著『豆州内浦漁民史料』上巻、中巻壱・弐、下巻(アチックミューゼアム、1937−1939年。なお、1973年に三一書房より『日本常民生活資料叢書』の一部として全3巻で覆刻された)。宇野脩平「国立史料館の構想と日本常民文化研究所」(『渋沢敬三先生景仰録』)。
注記
収蔵名称国文学研究資料館(歴史資料)
更新日2018/01/12 14:00:14







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