【伊豆国君沢郡内浦三津村大川家文書||O-KAWA family papers, Uchiura-Mito village, Kimisawa district, the province of Izu】
識別記号 ac1948026.0505
資料記号 23Z5オ
標題 伊豆国君沢郡内浦三津村大川家文書||O-KAWA family papers, Uchiura-Mito village, Kimisawa district, the province of Izu
年代 1551年~1908年
主年代
年代注記 16世紀半ば-1904(明治37)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 3m/686点
物的状態注記 686点(71冊、569通、43綴、1鋪、2枚)
出所・作成 大川家
履歴 三津村大川家の初代隼人(1513年・永正10年生まれ)は、長浜村大川家(屋号大屋)から分かれ、同家当主大川兵庫とは兄弟の関係であったと言い伝えられている。隼人は兵庫とともに西浦の貢租取立を任されていることから、戦国期には長浜村大川家と並ぶ当地域の有力者であったと推測される。 大川家は1815(文化12)年まではたびたび三津村名主をつとめ、1813(文化10)年には大沢村・長浜村・小坂村・重寺村・江梨村の組合村取締役割元を申し付けられている。しかし、1815(文化12)年に大川伝左衛門が病気のため退役して以後は、久左衛門(金指家)、清助、忠助(関家)三人が年番で名主役を勤め、組合村割元役も年番名主が「伝左衛門」の名義で勤めることになった。明治期には10年代に大川伝十郎が三津村村務委員、伍長などを勤めていることが史料からわかる。なお、近世中期以降の史料によると三津村には網組が3組、津元が3軒存在している。津元のうち1軒は大川家であった。
(関係地)伊豆国君沢郡内浦三津村‐静岡県田方郡内浦村三津‐沼津市内浦三津[現在]
(主題)名主‐取締役割元;津元
(役職等)名主‐取締役割元;津元
伝来 「伊豆国君沢郡内浦史料」(23Z3 23Z5)参照。
入手源 「伊豆国君沢郡内浦史料」23Z3 23Z5)参照。
範囲と内容 本文書群は、(1)近世三津村村方文書、(2)近代三津村村政文書、(3)津元文書、(4)家関係文書によって構成されると考えられる。文化期に一時勤めた取締役割元役に関わる組合村文書はほとんど含まれていない。 (1)は、名主役を1815(文化12)年に退役していることから、ほぼそれ以前のものに限られる。「年貢割付状」「皆済目録」をはじめ、浮役、分一運上、船役などの貢租関係史料、入会山出入や普請関係史料などが比較的豊富である。(2)には、1880(明治13)年の火災救助拝借金に関するものや寺社関係、学校関係の史料がある。(3)は、網戸売買、船造作、魚売買、漁出入などに関する史料があるが、とくに明治中期の木負村との漁場訴訟文書が目立っている。(4)は苗字帯刀免状や屋敷売渡証文など、比較的少数である。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第29集(1988年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 現地の大川家に、享保−文化期の「名寄帳」、元禄−文化期の「御取箇割帳」など200点余りの史料がある。
出版物 「伊豆国君沢郡内浦史料」(23Z3 23Z5)参照。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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